001_文とか話

エッセイと書いたら照れるので、随筆と呼んでみようとしたらもっと照れた。
何か共通のタイトルをつけて連番にしたかったのだけれど、どうやっても照れるので、いいのが思いついたら後でつけることにした。ひとまず、他の記事と区別がつくように題の冒頭に三桁の数字をつけることにする。二桁ではなくて三桁なところ、鼻息の荒さを感じ取ってもらえたら嬉しい、最大で999個書ける。

なにかを文章にしたいと思う。自分のことをはなすのはあまり趣味ではないし、詩をうたうならば詩と呼びたい。何回聞いても飽きないような修羅場をくぐった経験談もなければ、自慢できるような高尚な趣味も、誰も聞いたことがないような面白爆笑小話もない。
それでもなにか文章を書きたいということは、きっと、おそらく、誰かに、なにか伝えたいことか、わかってもらいたいことがあるのだと思う。
テーマはない。誰になにを伝えたいか自分でもわかっていない以上なんでもいい。いっぱいあることが、いっぱい言葉にすることの方がいくぶん重要なように思う。テーマが書いてあるサイコロでもあれば便利なのだけど、持っていないから思いついたことから文章にしたい。

作品で語られるそれとは、また別のはなしで、文章、と考えた時に思いつくのはどうでもいいことばかりだ。どうでもよくない、のっぴきならない文章が今はあちこちにあるので、こちらとしては、あまり役に立たないような、立派な主張があまりないような、思い出ばなしか昔ばなしか、趣味の研究のはなしか、好きなもののはなしか、もっとどうでもいいことか、そういうことばかりを、できる限り正直に書きたい。それでもせっかく読んでもらえるのだから、少しでも退屈させないようにしよう。

なにか、かもしれない、誰か、そんな感じ、気がする、おそらく、なんて曖昧な言葉が多くなる。
世の中には、少なくとも身の回りの世の中では曖昧なことの方が多いように思う。もしくは、判断しようのない事柄や判断しないことの方にしか興味がないのかもしれない。
喧々諤々の論争はここにはない。啓蒙もない。あなたを活路に向かって鼓舞するでもなく、便利な知恵を授けるでもなく、ただ、ここで、ひたすらに話を展開する。
門をくぐる者が一切のなにかを捨てなければいけないのなら、なにも捨てず地獄の門の前で立ち話をしよう。

日記、日誌、エッセイ、詩、報告書、どれに当てはめるほどのものでもなく、もちろん物語とも呼べない、けれど少しづつだけそれらに似たこれから書く文章群が、自分と、自分自身かそれ以外の君なのかあなたなのか、あるいは物体なのか、なにかとの関係性を浮き彫りにするものになれば成功、さらに、なにかを伝えることができればこちらの大勝利だ、敗者はどこにもいない。

 

 

 

 

 

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