002_見栄とかこだわり

今年のはじめに届いた一枚の葉書に感動、というと違う気がする、震えた。数行のとても短い文章、亡くなった人をなつかしんでいる、淋しくもある、という内容だった。誇張もなく、必要なぶんだけ淋しげなその文の中で、除夜の鐘という言葉はひらがなで書かれていた。

前回のブログ(花束と火薬™『001_話とか文』)を公開し、頼まれもしないのにサァ文章を書くぞと袖をまくり息巻いたが、なにしろテーマもなにもなく主張もないとなれば書くことがないので、書くことを無理矢理にでも考えなければ捻り出さねばとパソコンを起動したものの一向になにも思い浮かばず、そうだこういう時はとキャラクターの絵のついた手ぬぐいを引っ掛けて散歩に出かけたけれどなにも浮かばないまま誰もいないアトリエに向かってただいまと言い今またパソコンの電源を入れたがなにも浮かばない。働いたほうがいい。

できる限り正直にと言った。言ったけれど、高卒にしてはインテリジェンスのある男だ、ワイルドかつ学があるわと、立派な快男児だと思われたいと、あらゆる方向への見栄に邪魔をされ、ここは本当のところママチャリだったけどスポーティな引き締まった脚の長いタイプの男と思われたいから格好のいいロードバイクということにしよう、などと捻じ曲げはじめる。
エピソードを捻じ曲げに曲げ、こだわりのハーレーだった、しかも自分が生まれた年と同じ年に生産されたこだわりっぷりということにしようと、見栄を通り越しフィクションを書きはじめたあたりで我にかえり、下はレーシングパンツ、上はビンテージの革ジャンという意味不明な格好をやっと脱ぎ去り息も絶え絶え見栄に打ち勝てば、今度はこだわりに邪魔をされる。
こだわり、というのはおそろしいもので、例えば小説が好きなら、あの小説のような文章を書きたいな、という具合にこちらの好きな気持ちを食ってどんどんどんどん大きくなる。どんどん大きくなって、何も書けなくなる。働いたほうがいい。

邪魔なものが多い。書けもしない単語をスペースキーに頼って漢字に変換する。よく意味も知らない難しい言葉をわざわざグーグルで調べて、うん合ってるぞ、これでいいのかしら、とかやっている。見栄をはらないぞと、無学なままを気取る。ちょっとできるようになると、上手にやろうとか、ここをこうしたらうまくいくぞと、あぐらをかきはじめる。
意のまま魂のままというのは、きっと上手とかそういうことではない。かといって、これでいいやという諦めのことでもなさそうだから難しい。

写真や映像を撮る時も、グラフィックをつくったり大して上手くもないギターを弾く時も、あれこれ徹底的に調べて、抜かりなく機材を用意してのぞむ。構図にこだわる。手のまま技術のままという感じだ。
現段階では、これはこれで間違ってはいないのだろうけど、そのうち見栄もこだわりも全て捨てて、そんなものが意味をなさない、あの一枚の葉書のように、意のまま魂のままに作品をつくることができたら。そうなりたいと思う。よし、働け。

 

 

 

 

 

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