『LOVE』のこと

FINLANDSの新作『LOVE』のジャケットをつくりました。もう何作目になるだろう。

FINLANDSがアルバムをつくりはじめると、僕と冬ちゃんはデニーズに集まりだす。清潔な会議室やお洒落なカフェとかではない。長いこと一緒にいるであろうおばちゃんとおっさんがやたら怖い顔で食事を取っていたり、怪しげな勧誘が繰り広げられているデニーズの隅の席で、コーヒーかコーラか目の覚めるほど緑色をしたメロンソーダを飲みながら、近況と苛立ちと情熱と漫画のことをたくさん話して、アルバムのことを少しだけ話す。こういう打ち合わせを何度も繰り返していると、勝手にアイデアが削り出される。

タイトルは『LOVE』にしましたと冬ちゃんが言った。ややこしそうだなぁと思った。
多分、歌を歌う人が、LOVEを口にするのはすごく難しい。家族愛とか、恋愛とか、愛憎とか、そういう簡潔でわかりやすい物語の言葉で括られてしまうことが多いけれど、その実、それぞれで食い違っていたりするのはもちろん、彼が彼女へ向けるLOVEと、彼女が彼に向けるLOVEはまったく別物だ。やさしくて柔らかいだけがLOVEではないし、狂気的なだけがLOVEではない。

FINLANDSは徹底して都合の良い一面的なフィクションにして丸め込むことを拒んできた。二人はいつだって、本当のことを歌っている。だからいつも他人事ではなさすぎる歌詞に震え上がる。本当のことを歌い続けているバンドがLOVEと表題するのだから、それは当然ややこしい。現実のLOVEは常に入り組んでいてすごくややこしいから。

LOVEがもたらす孤独と焦燥と怒りと苛立ちを、安全に防ぐ手立ては用意されている。
LOVEがもたらす安心と平穏と優しさと歓喜に、身を沈めることは許されている。
防ぐことも受容することも、その手段全てを放棄して、その全てに身を委ねるのは、きっとLOVEの全てを見たいからなのかもしれない。LOVEの正体を暴きたいからなのかもしれない。
そうやってFINLANDSは、正しく清潔に、悪意も寛容も持たずに物事を見ている。

今回ももちろんモデルは史織ちゃんで、水平親方(物事の水平をとるのが上手な人物。彼は近年バイクに入れ込んでいて、サーキットに通っては地面と水平に近い角度でカーブを曲がっている。生まれつきの水平狂だ)に手伝ってもらった。FINLANDSのグラフィックをつくるための最強の布陣だ、抜かりない。

傘を差していれば、雨に濡れないことくらいわかっている。
それでも身の回りを渦巻く奇妙な雨に心を奪われて、いけない、いけないと思いながら傘を投げ出す。身を染めていくように、身を捧げるように濡れてしまう。そうしたいのではなくて、そうしかできない。

わかっちゃいるけどやめられない。
LOVEがあるせいだ、LOVEがあるおかげだ。

finlands_love

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