最近撮っている写真のこと

2017年の冬頃、よく写真を撮るようになった。写真を撮るくらいしかやることがなかったと言った方が考えていたことに近い。ろくに眠らず、作品もつくらず、ごはんはいっぱい食べ、フィルムを数百本消費しながら、ほとんど毎日写真を撮り続けた。研究のようでもあったし、瞑想のようでもある奇妙な日々だった。

フィルムで撮ったのは、画の質や肌ざわりもあるけれど、デジタルで撮って空気も液体も介さずUSBケーブルもしくはSDカードを経由してディスプレイで編集をするという行程にうんざりしていたというのも大きい。いい加減にしてくれと思っていた。対象はわからんけれど、いい加減にしてくれと思っていた。

それまでも写真を撮ることは最も楽しいことのひとつで、出かける時にはゆるんだ笑顔とカメラとアイスコーヒーをぶら下げていることが多かったけれど、こんなに長い時間を費やしてファインダーを覗いたり、シャッターを押したり、写真についての調べ物をしたり、自分の撮った写真をにらむのは初めてだった。

ここ数ヶ月撮ったのは、スナップ写真という種類のもので、目の前で起きていることや風景になにも手を加えず、スパッとカメラを構えて撮るという写真。スナップの語源はスナップショットつまりは早撃ちのことなので、脳みそのニューロンより早くシャッターを押す練習をした。

そういう風に撮った写真というのは、自分で「作品」と呼んでいるものとはつくり方も考え方も違って、日記をつける作業や、もっと言えばなにかを聞いたり言うのに近い気がしていた。
雷の存在証明(NO_0018)』や『SUN & GOLD(NO_0019)』のように、今までつくってきたものの多くは、撮って完成、というのとは少し違うつくり方をしていて、後から編集や加工をすることで目が見た、もしくは見たい風景に近づけていく方法をとっていたし、編集をしない写真でも色々な装置や道具を使うことで、風景を構築した。そうやって、自分の作品というものをつくっていった。

そういう技術的な理由や、それまでのスナップ写真というものとの付き合い方という身体的な理由もあって、最近撮っているスナップ写真は「作品」と呼ぶものではないと認識していたので特になんの注釈もつけずに、雑感とともにたらたらと日々Twitterにアップしていった。

なんとなく想定していた地点とは大きく違うところに、写真とカメラの日々が着岸することになった。写真を撮ることとの距離感が変わったのだと思う。ライカとの付き合いもはじまった。

この数ヶ月のことは漂流と思っていた。その漂流のはじまった海岸の写真を見返しながら、音もみずみずしさもないなと思う。おそらくそういう両耳で聴く音や、光とか風とか、あまり言葉にしづらいものを取り返そうと漂っていたのかもしれない。それはまだ叶わずにいるが、漂流は終わった。

こういう時間を過ごしたことの記録に、また、最近撮っている写真が今後つくっていくであろうなにかに、影響を及ぼすことはもう避けようのないことなっていると気がつき、撮った写真を時系列に並べて、それらに雑感のまとめのようなものを付け加えたうえで「作品」と呼ぶことにした。

示唆は多く、新しい方法も見つけた。今までこうだったから、こうじゃないと、という考え方に縛られてしまうのはつまらないだろう。意見も方法も日々どんどん揺らいで変わっていけばいい。たくさん調べて、たくさん書き起こして、たくさん覚えて、それを全部忘れるというのが自分なりの学問の仕方だ。

少なくない工程を必要とする作品の構想があって、手のかかる構想を現出させたものをつくりたいし、おそらくはまたそういうものをつくることになるのだけれど、スナップ写真によって手に入れたものは大きい、今まで見たことがないものができそうな予感がある。

明確にテーマをもって取り組んだわけではないけれど、見返してみると生活や信仰、祈りや営みを観察していたように思う。
目を逸らさずにいるために、たくさん写真を撮ったのかもしれない。
奇妙な時間に、おかしくも美しい風景がたくさん目の前を流れ去っていった。

今日から毎日、1作品づつ、20日間かけて20作品を公開します。
見知らぬ海から始まって、また別の海に着岸することになった漂流の写真を、その記録として楽しんでもらえたらなにより。

【NO_0021】DRIFTER / HALMA
www.naoyaohkawa.com/halma/

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です