一艘の舟が明け方の海を行く。
帰ってきたところだろうか、これから出掛けるところだろうか。

無事を祈るよ、達磨を燃やして、書き初めを燃やして。
帰りを待つよ、篝火を焚いて。

SPARK
PHOTOGRAPH, 2019

Somewhere on a planet, Op.1
PHOTOGRAPH, 2019

RAIN ROAD
PHOTOGRAPH, 2019

セエトバレエ
PHOTOGRAPH, 2019

煙と発光
PHOTOGRAPH, 2019

その町には季節と時間がなかった。
長い昼が続いて、夕暮れか夜が不規則に音もなくやってくるだけだった。

吹く風は肌に障らず、点々と生えた椰子の影が揺れるのを見て、風が吹いていることを知った。
科学的か、もしくは医学的に計算し尽くされた液体に浸かっているように、暑くも寒くもなく、乾いても湿ってもいなかった。

点在するテニスコートほどの大きさの黄土の広場に何軒かづつ、平屋建ての家がバラバラな方角を向いて置かれている。
年代も国籍もわからない、ノイズを含んだ音楽が、どこかから小さく聴こえる。
商店は開け放たれていて、プレファブ小屋に麻の暖簾をぶら下げて静かに営業していた。


水と煙草とよくわからない形をしたライターを買って、
背丈より高い枯れた草むらを抜けて海へ出た。
乳白色の砂浜に、底に黒いなにかを隠したように青い海が迫っていた。

そういう土地の記憶がたまに頭をよぎる。
幻の海の町、どこかで聞いてきた話か、本で読んだのか、夢に見たのか、
どこかの海の向こうの土地に想起されてそういう想像をしたのか。

Paradise suburbia
PHOTOGRAPH, 2019

風と人
PHOTOGRAPH, 2019

PALM
PHOTOGRAPH, 2019

流動体
PHOTOGRAPH, 2019

hozzy
PHOTOGRAPH, 2019

おまじない、願掛け、験担ぎ。
雨が降らない事を祈った。
強い風が吹いたこともあった。

雨の日には雨の写真を、風の日には風の写真を撮ればいいと受け入れるには、
体力が有り余りすぎている。
構想があるせいで、天候にまでなにかを願った。

お願いしますお願いしますと、
仏壇か、祭壇か、神様か、仏様か、海か空か石に手を合わせる。

たむけた花が、こちらに咲いている。


-


円を描いて踊る、裸みたいな格好で。
火打ち石が弾ける。

舟歌、手拍子、パチパチと火の粉。
団子、餅つき、わっはっは。

いっぱい食べる。
いっぱい眠る。
勉強をして、働く。
走りまわる、ただまわる。

三日月、満月、新月。

火が燃える。
煙があがって、雨が降る。

花が咲く、風の乗って、またどこか。

SPARK & HUMAN
PHOTOGRAPH, 2019

餅と月
PHOTOGRAPH, 2019

HUMAN BLUE
PHOTOGRAPH, 2019

HUMAN IN THE LIGHT
PHOTOGRAPH, 2019

FIRE Spread
PHOTOGRAPH, 2019

LAMP & HUMAN
PHOTOGRAPH, 2019

RED
PHOTOGRAPH, 2019

僕が生まれた時、ジョンも、ヴァレリーも、三島も太宰もこの世にはいなかった。
モネもドビュッシーも、コクトーも。
ダリはちょうど僕が生まれた日に、美空ひばりも数ヶ月後には。
ニーナ・シモンがいなくなって、エイミー・ワインハウスもそのうちいなくなった。

今年、三十歳になった。
ロケハンに走り回り、撮影でのたうち回り、転げまわり、迷惑を駆けて回り、腹を立てればひとりで叫び、腹を減らせば切り分けた葡萄パンの大きい方を奪おうとする。
横目で他者を覗き見る、お金の遣り繰りに苦労をする、こそこそと匂いをかぐ。
映画のワンシーンに胸を鳴らし、リメイクに文句を言う。
たやすくも眠気に負けて昼寝に落ちて、電話で起きて寝てないと嘘を言った。
愛想笑いは苦手と言いながら、ヘラヘラと綺麗そうなことを言う。
後悔はしないようにと、それでも日々後悔は募る。
ずるいことはしないと言いながら、自分だけ一歩速く歩きたいと思っている。
それでもなんとか、やさしくしたいと願っている。
そうやって、あまりに爛々と生きている。

いつか完膚なきまでに終わりが来ることは知っていたけれど、いつか老いることは、予想さえしていなかった。もしかしたらそれは思っているより早くやって来るのかもしれないし、ずっと先のことなのかもしれない。

昔から、どうしても撮影対象の年齢や性別に興味を持てないでいる。
若さや老いが、無条件でなにかしらの意味を持っているものではない気がしてならない。

生まれて何年かしか経っていない人の弾けそうな頰が眩しい。
何十年と風にさらされてきた手に光が映る。
まだ一度も切られていない毛先が朝日に透ける。
白髪がほとんど発光するように夕日を反映する。

誰かに残された時間も、誰かを過ぎてきた時間も、全く等しく燦然としている。
爛々と生きる誰かが灯り、光っている。

人と流動
PHOTOGRAPH, 2019

Temporary ashore
PHOTOGRAPH, 2019

Reflect colored blues
PHOTOGRAPH, 2019

レタス
PHOTOGRAPH, 2019

PARAGLIDE
PHOTOGRAPH, 2019

WET & DRY
PHOTOGRAPH, 2019

Dancing shoes
PHOTOGRAPH, 2019

表層
PHOTOGRAPH, 2019

車を走らせながら、窓の外を眺める。
水平線か地平線。

丸く、広い、ある惑星のどこかで。

LIGHT SHAPED FLOWER
PHOTOGRAPH, 2019

Somewhere on a planet, Op.2
PHOTOGRAPH, 2019

FLOWER IN THE LIGHT
PHOTOGRAPH, 2019

HUMAN SHAPED LIGHTS
PHOTOGRAPH, 2019

「おわりに」
今回の個展の開催にあたり、撮影のモデルを快諾してくださった皆さん、ギャラリー・ルデコ、島中文雄さん、島中淳史さん、友人、少なからぬ協力を頂いた家族に、心から感謝します。

本日はご来場いただき、ありがとうございました。

個展のタイトルを今回のものに決めた当初、「光の形をした人」という意味のつもりでした。
それがどうやら英語として間違っていそうなことに気が付いたのは秋頃で、HUMAN SHAPED LIGHTSは正しくは「人の形をした光」と訳します。
どちらでも同じ意味だなと思ったので、タイトルは変えず、今のもののままにしました。
なぜ同じ意味だと思ったのか、今のところよくわかっていません。
この個展が終わる頃には、なにかしらわかるかもしれません。
もしくは、なにかわかったら教えてください。

今年も観察して、観測して、写真を撮り、筆を執りました。
変わらず、芸術は、灯りであると考えている。
芸術は、肯定であると考えている。
銃弾を防ぐこともなければ、襟首を掴むこともできなくとも、奥歯の砕けるような場面に、地面を踏みならすような場面に、小さくうなずくことができれば。

誰かの目の前の誰かが、遠く思う誰かが、光の形をしているように。
誰かを照らす光が、人の形をしているように。
僕はあなたの全てを美しさと肯定する。

ありがとうございました。
来年はどんな一年になるでしょうか。
2020年に、またお会いしましょう。

HUMAN SHAPED LIGHTS
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