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SETOBAREE
NAOYA OHKAWA
セエトバレエは左義長(さぎちょう)、いわゆるどんど焼き。
「どんど焼きのデラックス版だ」と、そう教えてくれた海岸の爺さんは、セエトバレエの語源については「まぁよくわからん」と言っていた。呪文のようで、すごく魅力的な名前だと思う。左義長という名前の方が広く知れているようだけれど、どうもセエトバレエという名前を気に入ってしまった。
おそらくは、訛り言葉かなにかで、川下の石が丸いのと同じような理由で、時間と潮風にさらされ、抽象性を増し、少し不気味で神秘的なこの呼び名だけが残ったのだろう。
元の元をたどれば、中国。セエトバレエが渡ってきた頃の日本はまだ、神も仏も、そんなに区別していなかったのかもしれない。
とにかく、宗教のお祭りというより、風土がつくった民俗のお祭りという気がした。
サイト(配布されていたリーフレットにもカタカナで書かれている)と呼ばれる真竹と藁の山が海岸に九基並ぶ。壮観。
サイトにはどれも鮮やかな飾りがしてある。
原色、風に吹かれてゆったりと揺れる紙飾りがとても綺麗。
だるまさんは、なにか重大な秘密を透かすような目で、全方向をじっくりと見つめている。
夕暮れの海岸はとても寒い。パチパチと写真を撮りながら、時々周囲を見渡す。見渡して確認をしないと不安になるくらい、現実味がない。悪夢のようでもあり、おめでたい初夢のようでもある。夕暮れが過ぎると、カメラをしまって、色々な人に話を聞いた。
看板には「点火」と大きく書かれている。その左下に小さく「18時30分」とある。
18時30分、サイトに放たれた火は一瞬で燃え上がる。九箇所から同時に歓声が沸き立った。
手に持った棒の先に吊られた団子を、老人と大人と子どもが、火の粉を被りながら焼く。
火と人の写真を撮る。火の粉が降りかかってくると、化学繊維のジャンパーがどうにも頼りない。
砂に足をとられながら右往左往していると、男衆の歌う舟歌が聴こえる。誘い寄せられるように歌声に向かった。
火と風と円と歌声が、真っ黒な夜をやさしく突き刺すようにのぼっていく。
火は、あっという間に小さくなった。
帰る人、火を眺める人、丹念に団子を焼く人。
少し離れたところから眺める。
火を囲む人たちの、長く伸びた影が揺れる。
踊っているようだ。舞い上がるようだ。
とても静かだ。
人の影は紙の人形のようだった。
人の影は魂のようだった。
人の影はおめでたい飾りのようだった。
人の影は祈りの形そのもののようだった。
シャッターを切った。
カメラの筐体の中を、金属シャッターの音が反響する。
36枚撮りのフィルムが終わった。
振り返ると、町の明かりがあった。
反響が消えたのを確認して、すぐに帰り路に向かって歩いた。
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追記:セエトバレエ考①
「セエトバレエ」という名前はあまりに神秘的だ。怪しい踊りのような雰囲気もあるし、秘密の雰囲気がする。胸がときめいて仕方ない、魔力さえ感じる。
じいさんも「まぁよくわからん」と言っていたセエトバレエの語源を知るために、郷土史をいくつか調べ、神奈川県西部に住む友人知人をを尋ねる。
全国どこでも正月の14日前後に執り行われるどんど焼きは、そもそも、平安時代に中国から宮中行事として日本に渡って来たらしい。市井の人たちがそれを真似たり、真似る理由を探しているうちに、どんど焼きは道祖神を祀ったり、正月にやって来た神様を見送る行事として定着した。
箱根の方では、どんど焼きのことを「さいと焼き」と呼ぶことがあるらしい。ここでも「さいと」という言葉を聞くことになった。パンフレットに書かれていた「サイト」と同じく。
道祖神というのは、あの時折道端に鎮座しているやつ。
あの石には「塞の神」(さいのかみ:無病息災や、疫病から守ってくれる)という神様が祀られていることが多い。さいのかみ、の、さい、を取ったのかなんなのか、どんど焼きで燃やす灯りは、色々なところで、柴灯とか芝灯(どちらも読みは、さいとう)と呼ばれている。斎灯(さいとう)という神様や仏様へ焚くかがり火のことを示した言葉も辞書に載っていた。
神奈川県小田原市近辺、それに限らず、日本語がなまると「ai」や「ae」の音は「ee」に変換されることが多い。
「はいれ(h/ai/re)」は「へえれ(h/ee/re)」になるし「かえれ」は「けえれ」になる。「まいった」は「めえった」になる。悟空が喋っている言葉と言うとイメージしやすいだろうか。
これにのっとると「さいとう(s/ai/tou)」は「せえとう(s/ee/tou)」になる。関東でいう「おでん」が関西でなまると「かんとだき」と呼ばれるように「to」や「ko」の後に続く「u」も省略されることが多い。つまり「ou」は「o」になる。「判子」も、元々は「版行」がなまってできた言葉らしい。
これで「セエト」の謎が解けた。「さいとう」が「せえとう」になり「せえと」になったんじゃないだろうか。
頭を抱えたのが「バレエ」の方で、何日考えてもわからなかった。バレエを調べても踊りしか出てこない。平安時代の宮中行事にフランス語の「ballet」をあてるわけがないしなぁと、ぼんやりしていた。もう少し仕事のことや生活のことを考えたほうがいい。
ふと閃いたのは車の運転中。ユーミンを聴いていた。ユーミンは全く関係ない。灯台下暗しとはこれ。「バレエ」は「bar/ee/」だ。「ee」がある。ということは「ai」にできる。「bar/ee/」は「bar/ai/」だ。語学を専門でやっている人からしたら、基礎中の基礎なのだろうけれど、肌が粟立ったのをよく覚えている。
「bar/ai/」は「ばらい」で「祓い」だ。斎灯で、厄災を祓うから、さいとうはらい。さいとうはらい。さいとばらい。せえとばらい。せえとばれえ。車を運転しながら「やったー!」と叫んだ。叫んだ後にユーミンと一緒に大声で歌った。あとで調べてわかったことだけどどんど焼きを「さいと祓い」と呼ぶ地域もあるらしい。なんだそんなに難しい話ではなかったのか。
個人的な写真を撮る目的のひとつに「正体を暴く」というところがあるのだけれど、なんとなく、まさに、それを出来た気がした。「セエトバレエ」という神秘的な名前の正体を暴くとなお、その神秘は輝いた。石が砂になるより長い時間と、たくさんの人の脳みそと言葉を通ってやって来たんだろう。なんてロマンチックなんだろう。ほどいた言葉の紐を、できる限り丁寧に、またしっかり結び直そうと思う。セエトバレエ、来年も必ず見物に出かけよう。
知恵と叡智をお貸しいただいた方々、文献に丁寧に書き残してくれた人たち、ありがとう。
※専門的な考証などはなく、個人が興味にかられ調べたことに基づいています。間違いやご意見があればご教示を。
2018.6.10
NAOYA OHKAWA