『HUMAN SHAPED LIGHTS』を終えて

紙や筆、絵具や各種ビニールとパンの屑で散らかったアトリエの片付けがひと段落し、作品の発送も終え、落ち着きを取り戻すかと思われましたが、やはり12月に30歳の大人がまるまる一週間アトリエを空ければその先には、相応のしわ寄せというものが待っていました。
別段だらけきる時間もないままに年末の日々を過ごし、さすがに暮れのおやすみ、なんとか落ち着き、改めて個展を振り返り、お礼など、伝えるべきことが多いと考えた次第であります。

まずは、『HUMAN SHAPED  LIGHTS』にご来場くださった方、来たいと思ってくれていた方、気分は行った気になっている方、遠巻きに眺めてくれていた方、横目で通り過ぎた方、ありがとうございました。
少なくない協力を頂いた友人、家族、そして会場を与えてくださったルデコの島中文雄さん、島中淳志さんにも深く感謝しております。

会場にも書きましたが、HUMAN SHAPED LIGHTSというのは、誤訳からはじまりました。「光の形の人」という意味のつもりでしたが正しくは「人の形の光」であることがわかりました。わかったものの、同じ意味だと思い、タイトルは変えず、そのまま決定しました。

なぜこの2つを同じ意味と捉えたのかを探すことが、今回の個展における、あくまで僕個人にとっての重要なテーマであったように思います。
作品の制作を通して、僕がしているのは観察です。
写真も絵も文も、表現や創造とは少し違い、どちらかと言うと「よく見る」作業に似ている気がしています。
勝手な想像で、対象を自分の理想の姿に捻じ曲げることなく、飲み込みやすい形に丸め込まず、対象をよく見て、その光景をできる限りそのままフィルムに焼き付けることを目的としています。
どのように髪が揺れたか、どんな形の風が吹いたか、日光と湿度と酸素の濃度をよく見て、どんな風に震えて泣いたか。
どこまで技術が進歩して、カメラの解像度が上がろうと、人や景色の内面は、写真に写ることはなく、他人は知り得ず、その人だけのものです。
それを知ろうとするのは、勝手に想像することで、その想像はいつも、自分の理想に捻じ曲げられているのではないでしょうか。
ただただ表層を写し取り受容することが、今のところ、僕が写真に対して唯一持っている決まりごとであることに気がつきました。

なぜHUMAN SHAPED LIGHTSに2つの意味を見た、もしくは勘違いした上でタイトルにしたのかを、一年以上かけてつくってきた作品を自分の手でおろしていく撤収作業の最中、少しだけ理解したように思います。

作品をひとつつくるごとに、人は光を反射して光り、光景は人肌のような温度に満ちていました。
今年の個展は、そういう瞬間が現実として確かにあったことの記録でした。

賛と否どちらのご意見もいただいたあの価格での作品販売については、作品を買って帰った人の大半が「初めて写真を買う」と言っていました。
あの価格で販売をして、最終的にやりたいことを達成するまでに、これから辿るべきプロセスはあまりにも膨大ですが、一歩目としてこれ以上の結果はないように思います。
本当に有難うございました。
作品を選んでいる様子や、会場でいただいた質問や、オーダーシートの記入後に掛けられた言葉は、どれも身に余るような嬉しいものでした。

来年はいくつかの展示と、いくつかのwebサイトの企画が進んでいます。
まずは1月18日にオンライン・ストアがオープンになります。それに関して、詳しくはまた。

予定している展示は昨年や今年のように、2018、2019と冠したものではなく、言い方は難しいですが、例えば音楽家で言うところのシングルのようなものになります。テーマと作品の点数を絞り切って、より明確にコンセプトのあるものになります。

2020と冠した、またしても音楽家で例えればアルバムのような展示を開催できるかどうかは、わかりませんが、したいですね、しましょう。
お互い、深く考えたりさっと忘れたりしながら、楽しくやりましょう。

ともあれ、健康に正月を迎え、たくさん寝て、餅を食い、遊んで働いて、また、元気にお会いできるのを楽しみにしております。風邪などひかぬよう、くれぐれもお気をつけて。

NAOYA OHKAWA EXHIBITION 2019 『HUMAN SHAPED  LIGHTS』これにて幕引きであります。
それではまた来年、どこかで。
ありがとうございました。

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