003_九月とか死神

鎌を片手にした婆さんが向こうから歩いてくる。風がずいぶん冷たくなってきた。午前、日差しはほとんどない、雲厚く曇っている、それでも太陽光線は明るい。
徐々に婆さんと近付く。うっすらと穏やかに笑っている。アニメや映画でよく見る死神の姿は洋式で、ああそうか意外にも和式の死神というのはこういうナリなのかと思う。同時に、まだ死にたくはないとも思ったけれど婆さんはただ草刈りの暇だった。生きのびた。
ふと足元が気になると粉々の眼鏡。鼈甲を模したおそらくセラミックの男眼鏡。ネズミ講の段ボールいっぱいに何かしらを詰め込んだ爺さんがそれをごみ捨て場に投げ捨てる。町を歩いているといろいろなことが起こる。

コンビニで煙草を買った。420円の煙草の会計に500円玉を出す。受け取ったレシートには50,000円、お釣り49,580円。なんかしら言え店員さん。人通りがほとんどないとはいえ歩き煙草はどうかと思うのでコンビニの前に設置された灰皿に立ち吸う。ポケットにはつかないライターと、つくライターが入っていた。煙草に火をつけたのは、つくライター。煙と景色を眺めながら世の中のどこにも存在していない架空の49,500円を思う。本当だったらあのカメラが欲しいなぁと思う。「本当だったら」の意味は全然わからない。そういえばアトリエの鍵をかけていない。

セミが鳴いている、肌寒いのに。コンビニからアトリエの道中、たまにいる大きな犬を見かけた。さわってみたいけれど飼い犬なので飼い主に断りなくさわるわけにはいかない。あんな大きい犬が野良なら絶対に近づきたくない。歯ブラシ。毛の部分が青い。珍しいものをこんなところで見かけるとは。重たい段ボールを捨てたおかげで足取りの明朗なネズミジジイとすれ違う。和式の死神は夏の間に伸びきった草を刈りとっていた。

けろっぴが傘にしてる葉っぱの大きいなにかはわからないあれが植わっている畑はとても大事に育てられている。年中、公園で鉄球投げに興じる老人たちが今朝はいない。あの熱狂がないと静か。用水路を流れる枯れた葉が蜘蛛の巣に絡め取られていた。

夏が終わったとみんなが言う。少し寂しくなる。湘南の海と、新潟の山が綺麗なのを見た夏だった。青空は雲の上。どこの土地にも、なにかが降ってこなければいいと祈る。太陽は偉大だ、科学が作り出そうとしてはいけない。僕も近所の死神もネズミジジイも世の中で元気に生きている。そうだ、本当だったらあの49,500円は来年の旅行のためにとっておこう。健やかに日々を見送って、来年の夏は綺麗な海へ泳ぎに行きたいなぁ。

九月。風がずいぶん冷たくなってきた。

 

 

 

 

 

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